雪、ときどき嵐

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12月に入ってようやく、私は嵐という輝きを宝箱に仕舞う準備を始めた



あと2週間ちょっと。

嵐が活動休止する。


休止を発表した時は「まだ先の話だな」なんて思っていたわけだが、気づけば目の前には2020年12月31日が迫っている。



2019年1月27日。正直、あの日のことは突然すぎてあまり覚えていない。泣かなかった気がする。…いや、泣いたかもしれない。

ただ、翔くんの「嵐を宝箱に閉じ込めたい。」という言葉を、抱きしめるように読みながら、ほんの少しだけ震えたことを覚えている。


そこから約2年、嵐は決して歩みを止めなかった。5×20のコンサート、レギュラー番組、展覧会、海外進出、コロナ下でのリモート動画、国立競技場でのアラフェス…。個人のドラマ等もほぼなく、とにかく5人の時間が長かったように思う。

その姿は、全く"休止"に向かう人たちには見えなくて、前に上に進んでいるように見えた。屋号を畳む作業だと感じる瞬間は無かった。


その輝かしい姿を、一歩か二歩引いた場所で見つめながら過ごした2年間だった。


いま自室でこの文章を書いているのだが、ふと顔を上げれば嵐のCDやポストカード、そして好きな女性アイドルの写真、好きなYouTuberのグッズ、ジャニーズの好きなグループのうちわ…と好きな人のものに囲まれている。


ここ数年、いろんな人たちを好きになったなぁ、お金の使い方も変わったなぁ、と思う。


その時々で熱量は違う。

天秤にかけて、嵐じゃない方を選ぶことも増えた。


でも、それを踏まえても、やっぱり根っこにあるのは嵐というグループなんだと思う。


なんで好きなの?って言われてももう分からないくらい、私にとって嵐を好きな事は当たり前のことだから。


小学生の頃から10年以上嵐が好きで、毎週必ず冠番組をチェックし、中学生の頃はCMを収集するという趣味なんかもあった(多分200以上集めた)。お金が無くてCDは毎回買えないからTSUTAYAに行って借りたり、家電量販店でカタログをもらったり、誕生日プレゼントとしてDVDを買ってもらったり。

とにかく、小さい頃の私の生活の中心は嵐だった。

遠くにあるおじいちゃんの家に行く道すがら何年間もTimeをリピートしていたことも、大切な試合の前にDo my bestを聴いたことも、PIKA★★NCHI DOUBLEの"DOUBLE"が読めなくて「どうぶれ」って呼んでたことも。

嵐と共に育ってきたし、人生の隣には嵐があった。

嵐がそこにいることは私にとってあまりにも当たり前で、嵐を好きでいることは私を構成する細胞の1つだった。


いろいろあって、今年初めの展覧会では自分が何を思うのか怖かったこともあった。でもあの空間に足を踏み入れれば、そんな心配吹き飛んだ。純粋に幸せだと思えたとき、すごく嬉しかった。


"やっぱり5人が好きだ。

5人で並んで歌って、笑って、支え合って、引っ張りあって、紡いで、歩んで、走っていく5人が好きだ。"


展覧会に行ったあと、私は感想にこう書いている。


最初に本気で好きになったグループだからなのか、嵐という思い出があまりにも深く私の人生に入り込んでいるからなのか、その明確な理由はよく分からないけれど、彼らはずっと私の真ん中にあった。


5人が5人でいる姿を見ればいつだって胸は疼く。どんなに熱量が変わっても、「好きだなぁ」って気持ちや、言葉に表しきれないときめきは、この10年以上変わることはなかった。


だからこの2年間、宝箱に閉じ込める時間がやって来るということを、あまり想像出来なかったんだと思う。

 


でも、2020年12月11日のMステで「The Music Never Ends」を歌う嵐を見た時、唐突に数週間後に立ち止まる彼らを自覚してしまった。


声を震わせたり、目を潤ませる5人。

嵐自身が嵐の休止を目の前にしている姿を、前に上に進む姿もありながら、それでも止まることを意識している瞬間を、私は初めてしっかりと見てしまった。


きらきらと輝くまま、美しいまま、決して落ちぶれることも陰ることもなく、圧倒的な強さを持ったまま、5人は嵐を宝箱に仕舞うのだ。


なんて綺麗なんだろう。


そう思ったら、涙が止まらなくなった。



私にとって、原点であり、頂点。

不変の嵐という輝きは、数週間後、いつ開くか分からないし、何なら開くのかも分からない宝箱に仕舞われる。


女性アイドルには卒業というシステムがあるのだけれど、彼女たちは何故か、卒業することを決めてから更に美しくなっていく。

嵐は卒業するわけではないけれど、それと似たようなものをふと感じたりした。


涙をためて歌う5人があまりにも美しくて、あまりにも大好きで、苦しかった。



"The Music Never Ends"


この"Never Ends"という言葉が、「帰ってくるよ」という意味なのか、それとも、「宝箱の中で永遠に輝き続ける」という意味なのか、その含意を私は知らない。


「This is 嵐」というアルバムのラストを、そんな「The Music Never Ends」という言葉で締めくくっていることを、改めて噛み締めたMステだった。



「5×20の"5"が変わらなかったことが大きい」とか、「嵐の思い出を理解・共感できる人は4人以外いないし他の人には分かって欲しくないとさえ思う」と翔くんは言い続けてきた。

いま、偶然が必然となって20年という長い年月を"5人で"走り続けた嵐を抱きしめたい気持ちでいっぱいだ。


私の幸せは嵐とともにあって、5人からたくさんたくさん思い出をもらったから、5人はこれまで以上にそれぞれの人生を大切にして欲しい。


幸せでいて欲しい。


自らをすり減らして他人に価値を与える"アイドル"という壮絶なお仕事を全うし続けた5人が、少しでも自分らしくいられる時間を過ごして欲しい。


「待ってるよ」なんて口が裂けても言えない。

何にも縛られず、幸せでいてくれたらそれでいい。もう沢山の宝物をもらっているのに、「帰ってきて」だなんてそんな言葉で圧をかけることは出来ない。


望むものは、"ずっと幸せでいてほしい"、それだけしかないのだ。


休止を目の前に、いろんなことが終わる。

「最後の」って付く度に突きつけられる。

本音を言えば、寂しい。


でもきっと、31日のコンサートで私は笑うだろう。嵐にたくさん笑顔にしてもらったこれまでと同じように、私は2020年の最後まで笑って、そしてきっと堪えきれないほど泣くのだ。


今この文章を書きながら、既に複数回泣いている。2年前からほぼ泣いてなかったけれど、やはり12月に入るとダメだ。涙腺はバカになっている。


私は、2020年12月に入ってようやく、せっせと宝箱を閉じる準備を始めた。


また2021年に入ってからの気持ちを、ちゃんとこのブログに記したいと思う。そのとき思ったことを真っ直ぐに。

そして私の宝箱は、きっとその瞬間に閉じられる。


5 is my treasure number.


でっかい愛をそのままに。