雪、ときどき嵐

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『ライアー×ライアー』と『僕が僕じゃないみたいだ』によって、まんまと松村北斗沼に浸かった話

 

 

※ネタバレは無いつもりで書いていますが、もしかしたら引っかかるところがあるかもしれません。その場合はご了承ください。

 

 

 


私は『ライアー×ライアー』をナメていた。

いや、予告から面白そうだとは思っていたし、前々から友達と一緒に観に行こうと約束して公開日を指折り数えていたくらいには楽しみにしていた。
でも、そんな期待さえも遥かに超えてきた。
ライアー×ライアーは、これからずっと私の好きな映画ランキングの上位にランクインし続ける作品だと思う。

 

エンドロールを見終えたとき。
私は、とんっっでもない幸福感に包まれた。

ライアー×ライアーがこんなにも最高だなんて。思わず隣にいた友達と2人して顔を見合せた。(ちなみに私が最初に発した一言は「最後まで福利厚生がヤバい」だった。映画をエンドロールまできっちり観た人になら伝わると思う。)
まあ福利厚生云々の話は置いといて。

正直、この映画は序盤の10分ほどで何となくラストが予想できるような展開である。特に私はラブコメが好きで、よくあるパターンを何となく知っていたというのもあるかもしれない。

でも、その予想を軽々と超えてくるのがライアー×ライアーという映画の真髄であり、面白さであると思う。

これ見よがしな壁ドンや顎クイはなく、必殺技のような劇的胸キュンセリフもない。それでも、作品の中には終始キュンが詰まっている。胸が締め付けられるような苦しさも、ひたすらに愛おしい登場人物たちのきらめきも、とにかく全てにキュンキュンするのだ。悪人という悪人はおらず登場人物も少ないのに、しっかりとヒューマンドラマとして楽しめる。脚本や構成、テンポがとても心地好い。

こんなにも前のめりで観たラブコメ映画は久しぶりかもしれない。大概のラブコメ作品は、どこかしらツッコミどころがある。私はそれを味わうのがラブコメの醍醐味だと思っているし、そんな非現実を見るのが好きだ。俯瞰で見つつ、時折ツッコミながら見るのがお決まり。

でも、ライアー×ライアーは少し違う。もちろん「義理の姉弟」という非現実的な設定ではあるし、ラブコメだからコメディ要素もある。でもそれらは全て、主演の森七菜さんと松村北斗さんの演技によって一瞬にして現実世界の出来事であるように錯覚させられる。私はすぐに「森七菜」と「松村北斗」を忘れた。作中の「湊(みな)」と「透」の存在にのめり込み、彼らの一挙手一投足を固唾を飲んで見守ることとなった。
終わらないで。この世界を永遠に見せて。気づけばそう願っていた。

2人の芝居は、やけにリアルだ。表情の作り方やセリフの発し方がキャラクターそのものにしか見えない。どこまでもナチュラル。他の俳優がこの2人を演じていたら、きっと私はこの作品をこんなにも好きになっていなかったと思う。湊と透を演じられるのは、この2人しかいない。最高のキャスティングだと思った。

そしてエンドロールでSixTONESの『僕が僕じゃないみたいだ』が流れる。北斗くんの息を吸う音が聞こえて一音目が鳴った時、ゾクッと鳥肌が立った。
観終えたあとはしばらく余韻に浸りつつ、心の中でスタオベが止まらなかった。友達と終了後すぐに「絶対もう1回観る」「円盤が出たら買う」と言い合って、その後今に至るまで興奮が冷めていないくらい夢中になった。

「これだよこれ!私が見たかったラブコメはこれ!!」と叫びながら街中を練り歩きたいくらいには好き。
ブコメが苦手だという方にも強く勧めたい作品である。

ここで、主題歌の『僕が僕じゃないみたいだ』の話をしよう。

私が最初にこのMVを見たのは、時は遡りまだライアー×ライアーを見る前。YouTubeで公開された時だ。

「こんなにもドンピシャ好きな世界観を表現している映像を無料で見せて頂いてもいいのでしょうか?」とヲタク特有のキモ早口で頭を抱えた。
それくらい私は僕僕のMVが好きだった。鮮やかな色彩と裏腹な儚さ、そこに真っ白な花を抱える北斗くん。虚像と偶像と実像が混じり合っているような不思議な感覚を味わった。

アイドルを見て、この種の感情の揺れ動きを感じることは意外と少なかったりする。音に合わせて笑顔で踊るアイドルの表現を見たときとは少し違うもの。(誤解のないように言っておくが、私はステージに立つアイドルのきらめく姿を見て泣くくらい、その輝きも好きな人間だ。)

私は僕僕の北斗くんの表現を見たとき、芝居を見ているのと似たような感覚で心を揺さぶられた。形容し難いけどもどうにか深読みして言葉にしたくなるような、そんな儚さや切なさによる高揚感。

あと、シンプルに顔が好きめっっっっちゃ好きどうしよう……うわぁ…って感想も同時に抱いた(突然アホそう)。

去年の夏にブログで「松村北斗担(仮)」と書いていながらも、なんだかんだ半年以上「(仮)」期間を過ごしていた私に突如訪れた転機のきっかけである。

snowworld9.hatenablog.com

曲調もMVも全てが好きで、初めてSixTONESのCDを買った。

そしてライアー×ライアー鑑賞後、その足で友達とMV鑑賞会をした。
そこで、はたと気づく。

 

「もしかして、このパフォーマンスをしている松村北斗松村北斗であると同時に、主人公の高槻透でもあるのではないか……?」と。

 

はじめYouTubeで見たとき、世界観はとても好きだったものの、「嘘」「ライアー」という直接的な表現以外はよくあるラブソングじゃないかと思っていた。

でも、『ライアー×ライアー』を見たあとに僕僕のMVを見ると、グッと解像度が上がる。

歌詞をよくよく読んでみれば、この曲は主人公たちの物語であるように思えてならない。

そうか、私がMVを初めて見た時に感じた"虚像と偶像と実像が混じりあっているような不思議な感覚"や、"形容し難いけどもどうにか深読みして言葉にしたくなるような、そんな儚さや切なさによる高揚感"の根源は、高槻透から表れていた表現だったのかもしれない。
真意は定かではないが、映画を観たあとの私は、確かに北斗くんの後ろに透を見た。

まるでパズルのピースがハマるように、ライアー×ライアーという作品と、僕が僕じゃないみたいだという曲、そして北斗くんのこれまでの歌番組での表現までもが一連の流れとして目の前にぶわっと現れた。

あくまでも私の主観だが、北斗くんは僕僕の全てのパフォーマンスにおいて1人だけ違って見える。上手く歌おうという気持ち以上に、彼には明確に表現したいものがあって、それをなぞって歌っているように思う。
"高槻透"を真の意味で知っているのは松村北斗しかいない。だからこそ、彼はこの曲で目を引くのではないだろうか。

『僕が僕じゃないみたいだ』は単なる主題歌ではなく、ある種、映画の内部にある作品だと私は思う。曲の詞やMV、そして北斗くんの表現に含まれた物語を読み解く味わい深さがある。
映画を見たからこそ、この曲はさらに心に突き刺さる。

こんな衝撃を、俳優という側面と歌手という側面の両方からアプローチしてきた松村北斗という人は恐ろしい。

彼は自身の肩書きについて何と言えばいいのかよく分からないようであるが、この一連の美しい表現の数々は、あえて括るとするならば "アイドル" という職業だからこそできる技だと思った。

何にだって適応するプロの表現者。彼の表現は、いつだって畏怖の念さえ感じるほど綺麗だ。

 

こうして私はライアー×ライアーを通して松村北斗という表現者に惚れ込み、抜け出せなくなってしまった。

その後、レッドアイズ、一億円のさようなら、パーフェクトワールド…と様々な作品や過去の歌番組のディスクも引っ張り出して見返した。

すっかり私は「松村北斗担」である。完全に「(仮)」は取れてしまった。

私の中でタレントさんへの「好き」のランクって結構細かく設定されていて、テレビで見かけたら見るレベルからしっかりお金を落とすレベルまで幅広いのだけれども、北斗くんは上位にくい込んできた。そこまで行くつもりじゃなかったのにってレベルまで来た。しっかりお金を落としたいよってレベル。雑誌をいくつも買ったし、遂にはSixTONESのアルバムも買った。あーあ、また沼増やした。

 

 

とにかく、松村北斗は、ヤバい。

 

だから皆、ひとまずライアー×ライアーを見てくれ。