矢花黎くんのブログを読んで、日頃考えているアイドルへの考えをつらつらと書きなぐってみた #woofer887
矢花くんの侍日報にて、皆さんもブログ書いて!タグも付けちゃって!とのことだったので、ほいほいとブログを書くことにしました。
彼のブログとは関係ないところまで話があっちこっち飛んでいきますが、今の自分の考えをまとめておきたいがために駄文を書き記すことをお許しください。
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"アイドルの虚像と実像の乖離をファンはどう解釈すべきか"
実像(プライベートの素の彼ら)と虚像(アイドルとしての顔)のズレというものはどうしても発生してしまうものです。
矢花くんはブログで"「自己像」と「理想像」の乖離"と表現されていました。
人間には多面性があり、我々はあらゆる場所で異なる顔を持ちます。そのどれもが正解であり、"本当の自分"の正体は1つではない。
そしてアイドルに限らず、全ての人間はお互いを100%知ることはできません。たとえ親子であろうと、言ってしまえば単なる他人。
つまり、冷たく表現してしまえば、この乖離は"仕方がない"のです。
…と、言葉にすればかなり単純な話のように見えますが。
矢花くんのブログにもあったように、理解していたとしてもやはり悩みになりうるものだと思います。
人は誰しも自分を理解して欲しいものだし、何よりも未知なる何か(理想像)が自分の意図しない場所で動き出している状況は恐怖だと思います。
だからこそ、矢花くんはこの理想像と自己像を近づけるための情報を開示し、出来るだけナチュラルな面を見せて活動していく、と発信していました。
アイドルによって、ここの解釈は大きく異なると思います。
虚像を完璧に作り上げて活動する人もいれば、矢花くんのように乖離を無くすべく活動する人もいる。
正解はないし、私はその人ができる限り楽しく活動できる選択ができているのならそれで構わないと思います。
ただここで問題となるのは、ファンがその乖離とどう向き合うかということです。
私は、我々がAというアイドルを見つめているとき、実はAというアイドルそのものではなく、A'(=Aが編集されて現れたAのようなもの)を見ている、ということを意識すべきだと考えます。
たとえば、雑誌に掲載されたインタビュー文。
それらは一言一句その人自身が発した言葉なのではなく、ライターが切り貼りしたものです。(私は実際にアイドルのインタビュー場面を見たことがないので確かなことは分かりませんが、恐らく単なる文字起こしではないでしょう。)
たとえば、アイドルが自身の思いを語る映像。
それらは実際にアイドル自身が自分の言葉で語ってはいるものの、カットが入っていて編集されたものであることが多いです。
つまり我々は、"第三者の解釈"が混じることへの想像力を働かせる必要性があるのです。
見えているものが全てではないと考えるだけで、きっと情報の受け取り方は変わってくる。
SNSを見ていると、人は簡単に誰かの揚げ足を取ろうとするし、平然と傷つけることが多いと思うことがあります。
その人はどういう意図で発信したのか?発言の発端となった文脈はどのようなものだったのだろうか?
発言だけを独り歩きさせてはいけないし、第三者の解釈が混じっていることを踏まえて必死に考えを巡らせ、噛み砕く必要があると思います。
そして同時に、想像力の働かせる方向を誤った結果、解釈を歪めて肥大化させてはいけないと思うのです。
様々な事例が考えられますが、この最たるものが、『○○さんが可哀想』現象だと思っています。
SNSで嫌というほど見かけるこの手の呟き。
たとえば、バラエティの台本や流れに従っただけにも関わらず、「その発言は○○さんが可哀想です!」と出演者を批難する投稿は後を絶ちません。
「可哀想」 という言葉は便利です。
あくまでも他者視点からの言葉だし、何となく正義っぽい響きだから使い勝手が良い。
でも、○○さんの感情はその人自身にしか分からないのです。
そもそも思想や発言の自由自体は憲法21条で保障された権利なので、可哀想と思うこと自体は構わないと思いますが、それを盾にSNSで人を傷つけてはならないと思います。
SNSというのは、非常に広くてオープンな場です。
誰もがアクセスできるし、本人だって見ている可能性が高い。
渋谷のスクランブル交差点の真ん中で拡声器を持って発言しているより遥かに多くの人々に見られていることだってあるのです。
「発言の自由」だけを切り取って自身の権利を主張してはならないと私は思います。権利には同時にそれなりの責任が伴うからです。
(…なんだか憲法やら刑事法やら、やけに小難しい話になってしまいそうなのでここは割愛します。)
めちゃくちゃ簡潔にまとめると、「その発言が誰かを傷つけないか?と考えることを止めてはならない」ということが私の言いたいことです。
歪んだ解釈によって誰かを傷つけるSNS上の人々を見たアイドルが、「自分はそう思っていないのに」と苦悩している瞬間にいくつか出会ったことがあります。矢花くんが時折抱えるという悩みも、もしかしたら似たような話なのかもしれません(真偽は定かでは無いですが)。
我々には、アイドルを"消費"する者としての義務がある。
アイドルファンとして、この極端にドライな表現を使うことはやや憚られましたが、今日はここまで考えたい。
見ず知らずの他人であるアイドルの姿を、人生を、私たちは勝手に覗き見て、時にそこに依存して生きている。
我々にとってアイドルは"虚像"ですが、あくまでもアイドルは同じ時空を生きる人間であり、紛れもなく実像です。
私たちの抱く感情が、彼らの人生への過剰な負荷になってはいけないと思います。
私は、彼らを消費してしまっているファンとして誠意を持ち、あくまでもある一定距離を保った心地好い存在でありたい。そんなヲタクでいられている自信はないし、エゴかもしれませんが。
SNSでの"発言の自由"の線引きは、現代を生きるヲタクとして深く考え続けるべき事項だと思います。
ネットが発展してアイドルとファンの距離がより近づいたことを活かして、よりウィンウィンの関係でいられたら最高だなと思います。
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…つらつらと思っていることを書きなぐりました。
読み返してみると、非常に読みづらい。こんなものに矢花くんのタグをつけていいのかと軽く30分悩みましたが、矢花くんがせっかく圧をかけてくれた(笑)ので付けてみました。
そして、もしこれを矢花くんが読んでくれていたら、2つ伝えたいことがあります。
①私、矢花くんと誕生日の日付が一緒です!
②私的No.1シンデレラガールは、矢花くんのパフォーマンスです!シンデレラガールに限らず、矢花くんの表現が大好きです!というか矢花くんのセンス全てが好きです!!
…最後にヲタクをぶちかましてしまいました。
失礼致しました。
以上!!(完全に着地点を見失った)